鍋と地域経済

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素材を活かした手作り鍋と経済感覚
民宿オーナーさんのご厚意で、畑で採れた野菜をいただいて宿に帰ってきた。キャベツに白菜、にんじん、大根、お米など贅沢なほどある。さっそく食べてみようということで、素材の味をそのまま楽しめて、夜の冷え込む白馬でも体の温まる鍋を作った。野菜やお米の素材自体に甘みがあるので、特別手の込んだ味付けをしなくても十分美味しい。野菜を作ったオーナーさんの顔を思い出しながら、わいわい大喜びして食べた。“そういえば今日は近所のスーパーに買い物には行ったけど、ほとんど何も買わずに夕飯の用意が揃ってしまったなぁ。しかも、メンバーの6人全員がおなかいっぱいになるほどの量もある。この経済感覚・・・”そう考えていたら、物々交換で成り立ってしまう田舎の経済と契約書が無いと成り立たない都会の経済というテーマで話が進んだ。

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そもそも価値ってなんだろう。
そもそも経済について考えるとお金の話が必ず出てくるが、それ以前にお金を成立させている価値って本来、何なのか。調べると次のように出ている。

以下抜粋。
(古典的経済学http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4参照)或るものを他のものよりも上位に位置づける理由となるもののこと、あるいは真・善・美などの絶対性をもつ性質をいう。殆どの場合、物事の持つ目的の実現に役に立つ重要な性質や程度を指す。マルクス経済学における価値とは、モノとしてではなく制度的な関係性としての商品が持つ性質の一つである。全く性質が異なる商品の間で物々交換が成立することによって普遍的抽象的な価値が事後的に存在することになると考え、これを価値と名づけた。このようにして交換されるモノ自体の性質としては幻想ではあるが、交換の事実の効果として、ある社会的な支えを持つという意味で社会的な実体を持つ価値は、その商品を生産するために必要となる社会的平均的な労働の量、つまり社会的必要労働時間の長さによってその交換比率において制約を受け、結果としてそれによって決定されると考えられた。(使用価値交換価値 労働価値)

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物々交換で成り立つ地域経済
今回の食料はご厚意で頂いたものなので物と物の交換という形ではないけど、地域においてはオーナーさんが私達に野菜を下さったように、農家同士で作物を交換し合うことは日常よくある風景だという。食料自給率が低い都会の制度的な関係性においては、野菜の持っている社会的な性質の一つとして価値が見出され、お金と交換されている。一方、農家が偏在していて食料自給率の高い田舎においては、地域の関係性の中で全く性質が異なる野菜やモノの間で物々交換が成立する。この地域間での物々交換は、一つ一つの商品をお金で換算した時に、もちろん等価と言える交換ばかりじゃない。でも、そこに“何か付加価値”が発生して、お互いに交換物は等価だと認め、事後的に価値が存在することになるのだ。

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お金の存在意義
拝金主義の時代は終わったにしても、都会ではお金というものの価値が絶対視され、生活を支えている。そんな都会の経済においては、お金を“モノの価値に社会的な支えを持たせるための実体化”と捉え、本来、幻想でしかないということを思い起こすのは難しい。だから、それを忘れてしまうと、商品を得るための社会的平均労働時間の量を増やせば増やすほど、それに比例して絶対的に物が得られるのだという気持ちになり、ひたすら働きつづけたり、お金を得たいという欲求につながったり、お金を得ることがステータスとなってしまう。でも、本来は価値を与える側(作り手)と受けとりたい側(買い手)の気持ちに共感や納得感があるから、初めて価値の交換(お金とモノの交換や、モノとモノの交換)は成立するもの。生産者側は生産者側、消費側は消費者側という区別をはっきりさせて、顔の見えない交換が成立することは、実はとても違和感のあることなのだなぁと気付いた。また、それが平然と行われてしまうのが断片化された都会の日常なのだ。

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物々交換で成り立つ経済と契約書で成り立つ経済
先ほどの経済学の考え方では、今回の出来事を『交換』と仮に捉えた場合、オーナーさんが下さった食料と私達の持っていた何かが等しい価値を持っていたか、真・善・美などの絶対性がどこかにあったからお互いに価値を認め合えたのだということになる。けれど私達は今回、野菜に代わる物質的なモノを何も差し上げられていないわけだから、オーナーさんにメリットは何もないはずだ。それにも関わらず、オーナーさんから沢山たくさん頂いた。野菜という物質的な価値以上に、信頼や優しさ、愛情など、築き始めた関係性というところにも貴重な価値を見出せる。今回の交換に真・善・美があるのだとしたら、先にその真・善・美を見せて示してくれたのは、間違いなくオーナーさんだ。お金などの絶対的な尺度を越えて、主観で判断してくれたという事実が私達の心にも響いてくる。また、その判断が個人と個人の関係の間でしか成立しないことであり、比較する対象がいないことも魅力ではないか。もうこの時点で、価値がどうとか、秤にかけて判断すること自体を取り払いたくなる。契約書が必要な都会の経済とはまったく別物に感じるのだ。今回、私達が受け取ったお裾分けは、私達がこのワークショップを最後まで責任をもってやりたいという気持ちや、本当にオーナーさんが目指しているような新民宿を創りたいという決意にも似た気持ちを育てる。そういったことを踏まえると、この野菜に込められた“性質”に都会の人々も価値を見出すことができれば、将来、物々交換で成立する経済も垣間見えるようになるのではないかと期待してしまう。

そもそも価値ってなんだろう。
そもそも経済について考えるとお金の話が必ず出てくるが、それ以前にお金を成立させている価値って本来、何なのか。調べると次のように出ている。以下抜粋。(古典的経済学http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4参照)或 るものを他のものよりも上位に位置づける理由となるもののこと、あるいは真・善・美などの絶対性をもつ性質をいう。殆どの場合、物事の持つ目的の実現に役 に立つ重要な性質や程度を指す。マルクス経済学における価値とは、モノとしてではなく制度的な関係性としての商品が持つ性質の一つである。全く性質が異な る商品の間で物々交換が成立することによって普遍的抽象的な価値が事後的に存在することになると考え、これを価値と名づけた。このようにして交換されるモ ノ自体の性質としては幻想ではあるが、交換の事実の効果として、ある社会的な支えを持つという意味で社会的な実体を持つ価値は、その商品を生産するために 必要となる社会的平均的な労働の量、つまり社会的必要労働時間の長さによってその交換比率において制約を受け、結果としてそれによって決定されると考えら れた。(使用価値 交換価値 労働価値)

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